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  • 執筆者の写真manami saeki

僕らは「遺族」でしかない

こんにちは、ふぁみです。


今日はこのテーマで書いていきます。

僕らは「遺族」でしかない


これは先程トイレで突如降ってきた

言葉です。


トイレとかお風呂とか何か水回りって

直感降りてきたりしませんか?


宇宙人のふぁみさんはよくあります。

もはや受け取るように誘われる感覚すらあります。


言葉は衝撃的でなおかつ体調の優れない

回復期の私には痛みが伴うようなタイミング。


(そこまで大事ではないのでご心配なく。)


だけどお布団に戻った時にどこか安心したのです。

そうだよな、その事実は変わらないのか。


みんなアダムとイヴの遺族です。

もはやこの2人が先祖かということも曖昧。


だけどここまで人間が鎖を描き繋がってきたのは

紛れもない事実であり現実なのです。


だからといって

過去の人たちの苦労を味わえとか

過去の人たちを敬えとか

過去の人たちの恩恵をありがたいと思えとか

その伝言ゲームの難しさからもう人間たちは


開放されてもいいのかなと思うのです。


ただこの星に降ろしてもらった。

それだけで十分役割は完了した。


ただ宇宙にも言い分はあって

痛いのはわかる、苦しいのはわかる。

だけど人間は地球に降ろすしか教えてもらって

ないんだ。

他の星に降ろすことの愚かさを知っているから。

そうやってすでに太陽系では合意のもとこの計画は

続いているといっても過言ではありません。


時に私は太陽系の外側に行きたいと

思ったことがある。


先程の話に準ずるならばこの発想に向かうことは

不思議ではない。


でも私は太陽系の外側を選ばなかった。

それを感じる瞬間から記憶が消された。


それだけ一瞬の緩和材にしか過ぎないと

いうことでもある。


最近私と同じミッションの仲間を見つけた。

その方の本を読んだ。

もしかしたら私の痛みの正体がわかるかもしれない。と。


やはり同じミッションの中を生きていた。

すごくリンクするプロセスを生きていて

私はすごくすごく安心した。


その方は立場的に大きな方だけど

この方と同じ国にいるんだーーって

心強かった。


とてつもなく生きる勇気が湧いた。


意外とミッションって複数人数でシェアする

ことができると比較的達成しやすいもの。


ただ私のミッションってごく限られた少数派に

しかできないもののようで。


なかなか同じ人に出会えなかった。

しかも1人で抱えている人に。

その方想定外すぎてやっぱりこのキャパ観だよなと

私の痛みは当然だよなと腑に完全に落ちた。


だからこそ

私は私に優しくしないとな、できることは

全力でできるようにならないとな


そんな巡り合わせに生きないとなと

思うのです。


代わりに私ができないことを

やってくれているのだから

私は私のできることを真剣にやらなければ

多くの私という存在に不完全燃焼を


無限の悩みを残してしまう。


そんなことがないように

私は私を幸せにしたいなと

決意したのでした。


ではまた、ふぁみでした〜。

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