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  • 執筆者の写真manami saeki

頑張らない良さもある

こんにちは、ふぁみです。


今日はこのタイトルで書いていきます。

頑張らない良さもある


頑張るってどんなイメージをお持ちですか?

そのイメージとなる原料にポイントがあります。


皆が笑っていることにフォーカスが向く人あれば

皆が持ち場の目標のために汗を流して「ゴール!!」に向かう

人だっていたりする。


または一人で寂しく壁に向かって「誰もわかってくれない」

「どうして私だけこんなに苦労するの?」と

未来が暗くフォーカスがうまくできていない時を

頑張るという意味になったりするんです。


あなたはどんな景色を思い浮かべますか?

自分を含めた景色の場合や自分を含めない景色もあります。


何をイメージするかで頑張るという目的や、その先の

得たい景色があるんです。


では頑張らないという意味は?ただの逆の言葉だと思いますか?

じゃぁ先程の頑張るのイメージを「しない」と選ぶことかと

いうとそういう訳ではない。


また「頑張らない」というイメージが「頑張る」とは違うベクトルで

想像するのが人間です。


人の頭の中って「頑張る」と「頑張らない」は別の世界。

そうすると…一概に勉強したことが世間に反映しているかというと

そういう訳ではないことがわかります。


では「頑張らない」を選んだ人が「頑張らない」のか。

意外と頑張っているんですね。


頑張る場所を選んでいったというのが一番近いですね。

取捨選択です。


そのような方っていわば「頑張り方」が自分の気持ちと合っていなかった。

そういうこと。


心にはその人の「意思」を支えるという効果があります。

こころはその意思を支える器なんですね。


不安に思うことがあったとしたら、その意思を支えるものが「不安定」と

いうだけなんです。


そこには心という者(人物像)がいつも安定しているべき、はずだ!と

いう感覚がその人を支配しているという訳です。


でも人って迷うし、やりきれないキャパを負うことだってある。

だから心でさえも不安定になることがある。


その不安定さを認めていく、というかその不安定であることを想定の

範囲内に入れる。そこがすごく人として生きていく上でポイントです。


その発想になっていくことで見えてくる景色があります。


人っていつしか頂点を目指しがちです。登山に象徴されるさらにもっと先の

景色が見たい、私の理想は上にある。その感覚です。


ただその感覚を社会に広げた時、どのようなことが起こるのか?

それは平均値を絶対視し、その平均値以下を蔑むことが当たり前になってしまう。


それは時に社会不安を生み、個々人のステキさを見失うことに他ならない。

ひとりひとり大切にしたい宝物があります。そのステキさを単純に見分ける目が

おろそかになり…自身のこともちっぽけに感じてしまう。それが悪い視点かの

ように。


それでは、皆で生きていくことが不可能になってしまう。

地球という星は「みんなで生きていく」これを目指す星です。

この世で出会えたキセキを集めてよりステキさを磨いていく。そこに世界が

呼応され触発され共生社会を源とした経済活動が行われていく。


そんな成長過程が必要なんですね。

だからこそ、頑張らない視点をもう一つ持つことにより見えてくる景色も一緒に

持ち合わせて前に進んでいく指標にしてほしいなと思います。


どちらも必要だからこそ、どちらも尊重していく。

頑張らないその視点、私も大切にしたいなと思いました。


ではまた、ふぁみでした~。

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